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大将軍神社 (京都市北区) : ウィキペディア日本語版
大将軍神社 (京都市北区)[たいしょうぐんじんじゃ]

大将軍神社(たいしょうぐんじんじゃ)は、京都市北区にある神社である。
西賀茂地域(今原、鎮守庵、総門、田尻)〔近世(明治22年以前)における愛宕郡西賀茂村のうち、川上、林の2集落を除いた地域〕の産土神(氏神)で、本殿に主祭神・磐長姫命(いわながひめのみこと)とその家族神四柱を祀る。
京都市内には複数の大将軍神社が存在することから、それらを区別するため、当社を西賀茂大将軍神社(にしがもたいしょうぐんじんじゃ)と呼称することもある。
== 歴史 ==
神社案内板の由緒書きによると、創建は609年(推古17年)とされる。桓武天皇平安京造営に際し、王城鎮護のため京都の四方に「大将軍神社」を祀り、当社を北方の守護神としたと伝えられる〔京都市北区紫野の今宮神社境内社、大将軍社を指すものともされる〕。
また、創建当初からこの地域には瓦窯が設けられ、平安時代には官衙(かんが、古代の役所)の瓦を焼いていたとされる〔
京都市情報館 史跡・名勝・天然記念物・文化財環境保全地区及び埋蔵文化財包蔵地台帳 〕。近くにある神光院慶円に創建される前には、京都御所に奉納する瓦職人の宿に用いられており、「瓦屋寺」と呼ばれていた〔わかさ生活研究所 ひとみ研究室 神光院 〕。当社はその鎮守の社でもあった。
ただし「瓦屋寺」は江戸時代初めまで西賀茂大将軍神社の南側にあった正受寺をさすという説もある〔『西賀茂大将軍神社とその祭礼行事』(今原嘉麻呂監修、糺書房、2016年3月)〕。正受寺は正伝寺と密接な関係を持つ寺で、正伝寺の古文書(弘化年間の寺の日記)によれば、江戸時代には正受寺というよりも正伝寺〔[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E4%BC%9D%E5%AF%BA 〕が大将軍神社と関わりを持っていた〔同上〕。それと同時に上賀茂神社とも関係があることは言うまでもない。
古くは「須美社」〔[http://www.geocities.jp/sisekiguide/60/60walk.htm 京都歴史ウォーク 西賀茂の名刹と牛若誕生の地を巡る] 文中の「賀茂建身命」とは、「賀茂建角身命」か〕「角社」(すみやしろ)〔当社の住所が「西賀茂角社町」である〕とも呼ばれ、方違え(かたたがえ、かたちがえ)、疫除けの神として信仰を集めている。
なお「角社」は大将軍神社とは別の神社であったという説や伝承もある〔『賀茂別雷神社境内諸郷の復元的研究』(須磨千頴著、法政大学出版局、2001年)、『西賀茂大将軍神社とその祭礼行事』(今原嘉麻呂監修、糺書房、2016年3月)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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